ベリータルトの恋
初恋なんて実らないものよ、そう言ったのは誰だったかしら。遠い昔のお母さん?それとも、近所に住んでいたお姉さん?
どうでもいいことが、不意にどうしようもなく気がかりとなる。同時に、これ以上ないってくらいの優越感。だって、あたしは愛する初恋の人を今から手に入れるんですもの。手に入れられずに負け惜しみを言うような女たちとは違うわ。
「ねえ、あなた」
目の前にいるのは、素敵な人。あたしの想い人。そしてこれからあたしの恋人。あたしのもの。
短く切り揃えられた黒髪と、反対に真っ白なカッターシャツは清潔感を感じさせる。シャツが包む日焼けした肌は、健康の証。肉体も程よく引き締まっていてスポーツ万能を予想させ、運動の苦手なあたしからすると羨ましいかぎりだ。
頭のてっぺんから足の先まで何度見渡しても、出てくる言葉は「かっこいい」の一言ばかり。本当に、かっこいい人なの。でも、もちろんそれだけじゃなくて優しい人。だって彼はあたしに花を贈ってくれたもの。寂しいあたしに何度も花を贈ってくれたし、会いに来てくれたもの。
「あなた?」
返答のない想い人に、小首を傾げて問う。うん、可愛い。甘く舌に乗せる音色も、ふわふわと揺れる長い髪も、両の手を合わせたときに見えるきちんと手入れされた爪も、完璧。今この姿のあたしは誰が見たって可愛いに違いないわ。だって、恋はそれだけで女の子を可愛くする魔法のエッセンスじゃない?
けれど、想い人が褒めてくれることはなかった。代わりに聞かされたのは、拒絶の言。
「なっ・・・、来るなッッ」
「・・・・・・なん、で?」
だってあたしはあなたが好きなのに。どうして好いた人に近づいてはいけないの?こんなに近くにいるのに、どうして。
「あたしはあなたに会いに来たのに。どうして近づいちゃいけないの!?」
彼の部屋で、彼を見下ろしたまま想いのあまり叫ぶ。想い人に手を伸ばす。受け入れられることもなく、小さく「ひっ」と叫んで彼が身を反らす。黒の瞳に映るは恐怖。その顔に一抹の既視感を覚えた。なぜ?
想い人があたしを見上げ、叫ぶ。
「来るなよッッ!!何だよ、俺を怨んで出てきやがったのか!?
――幽霊!!」
「そんな・・・怨むだなんて」
だってあなたはあたしの死んだ場所に花を供えてくれた。逝くための道がわからずその場に居続けるあたしの元に何度も来てくれて、お参りしてくれた。
そんな人を、怨むだなんて。
「あんたが俺を怨まないわけないだろう?怨んでないなんて、嘘に決まってる。俺を騙して、どうする気だよ!」
「ひどいわ、何でそんな風に思うのよ。だってあたしとあなたは生前会ったことなんて――」
唐突に、蘇る既視感の正体。そう、それは既視感でも何でもないただの忘れられていた記憶。
辺りに響き渡るバイクのブレーキ音。
他人事のように感じてしまうほど急すぎる、人生の終焉。
消えかかる意識の中、最期に見たのはヘルメット内の怯えた目――
・・・・・・あぁ。
あぁ。
ああぁっっっ!!!
なぜ、どうして忘れていたんだろうこの男の顔を!そうよこの人間は事故だとはいえあたしを殺した男じゃない、花を供えるのなんて当たり前の話じゃない!よりによってこんな人間に愛しさを覚えるなんて、どうしてこの男なんかを初恋の相手に選んでしまったのよ!
それでも。あぁそれでも今更芽生えてしまった恋心を消すことはできなくて。憎しみ、愛しさ、相反する2つの感情がせめぎあう。
「あなた・・・」
戸惑って、もう一度じっくりと彼を見る。あたしはこの人について好きなところたくさんと嫌いなところ1つを知っているけれど、その1つというのがあたしを殺したことだ。赦しちゃいけない、好きになっちゃいけないとわかっている。でも、やっぱり愛しくて、憎い。どちらの感情に従うべきなのかあたしにはわからない。
「俺を…どうする気だよ…」
完全に怯えた顔で、彼が小さく呻いた。もはや涙目だ。あたしはそこまで危険な霊じゃないっていうのに。
『ごめんっっ!!大丈夫か!?今救急車を読んだから、持ち堪えてくれよ!
なぁ、おい返事しろよ!なぁっっ!!』
耳に届く、死に際の言葉。あの声は確かにこの人のものだった。この人は、人を殺して自分に傷をつけたくなかったのかしら。それとも、ただ純粋に誰かが死んでいくのを回避したかったのかしら。
あたしが最初に好きになったのは、花を置く時に見せる悲しそうな笑みだった。手を合わせる時の真剣な表情だった。だから――
それに、懸ける。あたしはあたしの直感を信じる。
「あたしは、あなたが好きなのよ」
「……え?」
それでも、どうしたってあたしは殺されたことを赦せないから。
「だから、あたしはあなたを自分のものにする。
あなただけが生きるなんて赦さないわ。幽霊になって、あたしのそばで、いつまでも一緒にいるの」
「なっ…そんな、待てよ!」
あなたに甘いだけじゃいられない。甘い感情だけで溺れ合う関係は楽だけど、あたしが望むのはそんな関係じゃないし、そもそもあたしたちの間じゃありえそうにないもの。厳しさも含めて、あたしはあなたと甘い関係を築きたい。そう、それはまるで甘味と酸味の両方を含んだベリータルトのように。
「俺はあんたを好きじゃないんだ!」
叫ぶ想い人。あぁひどい、いくら何でも自分を好いてくれる子に向かって「好きじゃない」だなんて。
「あたしは好きなの。あなたの意思なんて関係ないわ。
あたしがあなたを恨んでいると思うなら、思えばいい。何にしろ、あたしはあなたを幽霊にするもの。
そうね、それがきっと、怨みの代償」
そして同時に、甘味の代償。ベリータルトの酸味。
「やめ…ろ!」
「やめないわ。愛しい人、初恋の人、あたしの恋人」
彼に向かって再度手を伸ばした。
最期まで、あたしに向けられる想い人の目は怯えていた。
――あとがき―――――――――――――――
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こんなんが祝いの品でいいのか、と思いつつ。